横浜 ホテルを広めよう
母親のあいだに生まれた男で、美男子かどうかはさておくとして、生きることの享楽追求には本当に真剣な男だった。
金融業界ではひとりとして日債銀という銀行がつぶれることを疑う人聞がいなくなったころに、個人のポケットマネーでこの株を買ってしまって、一円でも価値があるうちに売っぱらうか、二円に戻すまで待っかを人に相談するほど相場観が悪かったのが、玉にきずだったが。
セールスマンが薦めるレストランというのは、高くて見端がいいだけで肝心の料理はまずいのが相場だが、こいつの薦める店はいつも地味だけど安くてうまいレストランだった。
そして、この男とぼくのあいだには「ほかの人聞が薦める店は、一度自分で味を確かめないと危なくってお客を連れて行けないけど、あいつの薦める店ならいきなり客を連れて行っても恥をかくことはない」という固い信頼のきずな緋があった。
そしてもちろん、「プラッスリー・ベルナール」も、こいつに連れて行ってもらわなかったら、一生自分で探し出すことはなかったろうというような場所でいまも商売を続けている。
もし周辺道路の整備が立派なオフィス街をるなら、東京のオフィス街でいちばんプレミアが高いのは、日本橋・京橋から新川までの中央区の東半分から墨田区、江東区のあたりだったはずだ。
東京都内の道路が、東京駅あたりを境に東側と西側でまったく様相が違っているのは、直接的には、関東大震災後の復興計画による道路整備が、当時の先進地域であった日本橋・京橋地区を中心に行われたためだ。
ただ、もう少し昔にさかのぼると、江戸時代東側は町人の土地で、西側は武士の土地だったことも影響している。
町人の土地は、しかも日本橋・京橋界隈の目抜き通りの土地は、少しでも有効に利用できるように、またせっかく来てくれた客が迷わないようにと、整然と区画された道路網をつくっていた。
逆に東京駅のすぐ西側から山手線の真ん中あたりまで広がっていた武家屋敷の密集地帯は、いかにも武士の町らしく鈎の手や、行き止まりの袋小路を意図的にあちこちに作って、敵に攻められたときに簡単にお城まで行かれないようにという工夫がされていた。
そのことも、山手線の真ん中にぽっかり街の形成から取り残されてしまった土地が点在する理由のひとつになっている。
山の手は、もともとが武家の居住地域だから、あまりワーカーりやすくできていない。
ほかの城下町と同じように、丁字路やクランク状のかぎの手道が多い。
要するに、江戸は軍事都市なので、最初から敵が侵入しにくいように作つであるのだ。
これに対して、軍事的性格のない下町は、大変整然としている。
たとえば、日本橋界隈の町屋は、きちんと区切られた一ブロックがひとつの町名になっていて、ヨーロッパのようにワーカーりやすい。
ところが、三の地域である郊外は、何の計画性も道路網のよさで衝が伸びるならば都心は東に移っていたない。
もともと人が住むことを考えていないから、川の流れや等高線などにそった道が適当につけられていた。
問題は、大正時代あたりからの人口の急増にともない、この部分に大勢の人が押し寄せて家を建て始めたのに、さっぱり都市計画が行われなかった点である。
曲がりくねった道がそのまま拡張されて、わけのワーカーらない道路網が東京都の大部分を覆い尽くすことになってしまった。
しかし、もし道が悪いことが街の形成にとって致的なハンディになるものなら、新宿、渋谷はともかく、世田谷や杉並あたりにはぜんぜん街らしきものは生まれていなかったはずだ。
このあたりの道はみんな、田んぼのあぜ道をそのまんま強引に車も人も通る道に使ってしまっているからだ。
世田谷、杉並界隈の遭の悪さといったら、山手線の内側なんか目じゃない。
だが、下北沢も、高円寺純情商店街もちゃんと街として育っている。
人聞がうろっき回りたくなる魅力さえあれば、道の悪さは克服できるし、逆にそこで魅力がなければ、どんなに道だけ良くしても人は集まmってこないのだ。
もし、住宅の高層化が良い職住近接環境をるなら、東京都心の高級住宅街は高層マンションが林立する江東区に形成されたはずだ。
なぜ、江東区、江戸川区あたりに高層マンションが多いかというと、工場追い出し政策で追われた町工場のあとにどんどんマンションが進出したからだ。
とにかく、一九六0年代半ばごろからの日本の国土政策というのは、街から工場や大学という貴重な生産施設や文化施設を追い出しておいて、その反面、大都市圏の真ん中で平屋とか二階建てのボロボロの住宅に住んでいた人たちがすさまじく低効率な土地利用を続けることは容認していたのだから、わけが分からない。
「江東区や江戸川区はあまり人気のない地域かもしれないけど、とにかく都心から近くて交通の便のいいところに工場跡地を使って大勢の人聞を収容するマンションができたんだからいいじゃないか」と考える人も多いかもしれない。
だが、人聞は大量生産して、大量に物流センターに保存しておく工業製品じゃない。
だから、単に大勢の人聞を収容できるキャパシティがあるだけでは、意味がない。
観光客でさえ見向きもしない。
「収容」される側の人間にとって、その街は魅力的な場所かどうかが重要なのだ。
その点、工場跡地のマンションは、まわりの雰囲気が殺伐としていてレストランにしろ、衣料品にしろ、しゃれた店なんかまわりに一軒もないなんてところも多い。
そんなところでどんなにいれものだけ立派なものを作っても、しかたなく入居する人は大勢いるだろうが、本当にその土地や自分の住まいに愛着を感じる人は何千家族と入居したマンション・団地でも、一握りにとどまっているんじゃないだろうか。
ちょっと古い資料だが、博報堂生活総合研究所が一九八五年二月に行った「タウンメッセージ調査」というものがある。
東京都内の代表的な盛り場について、若い男女五人、中年の男女五人の意見を集計して性別と年齢のイメージをまとめたものだ。
この調査結果を見ると、ほほ東京中の大きな盛り場についての性別年齢のイメージがつかめる。
この表でおもしろいのは、東京の街で本当に人気が高いのは当時からいままで一貫して、「両性具有的(アンドロギユノスティック)な街」だということだ。
たとえば、「Tky週間」というタウン情報誌が毎年やっている「住みたい街ランキングベスト却」の調査結果を見ていただきたい(八七ページの表参照)。
トップツーは判で押したように毎年、吉祥寺と下北沢のマッチレースになっている。
また、このタウン誌の区分は、博報堂の「タウンメッセージ」調査よりだいぶ細かい分類になっているので、渋谷単独ではあまり高い得票はしていない。
だが、三位から一位の常連である恵比寿、代別官山、三軒茶屋、自由が丘、中目黒、広尾あたりも、上の一ヵ所の街かど文化圏の中でどこに入れるかつてことになれば、文句なく渋谷文化圏に属する。
距離の遠さを考えなければ、二子玉川まで渋谷文化圏に入れていいだろう。
つまり、いま若い人たちが住みたがっている衡というのは、圧倒的に両性具有的な街。
そして、銀座を除く原宿、青山の「おんな街」は、表参道と組み合わさったかたちでいつも二番手グループに登場している。
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